腐敗を極める日米軍事財界に飼育された極右野合腐敗政権
(松下政経塾民主・自民・公明・橋下コスプレ維新・みんな・たちあがれ・減税日本。腐敗日米財界・腐敗日米軍部)


市民連合

たたかいの決意を秘めて路上に踏み出して行く市民がいま歴史を作る。

敵を間違えてはいけない、
原発を世界で推進する腐敗を極める日米の軍事財界が相手なのだ、

挑発や分断策謀を恐れずに前進しよう。


日米安保という詐欺の同盟が戦後社会を修復不能にまで破壊して来た。
怒りこそ、怒りの行動こそ正当なのだ。







抑止力だとか尖閣列島とか戯言を喚きながら、腐り切った軍需経済・原子力村を築き上げ、政府を乗っ取り、もって血税を強奪して行く、まさに戦前とまったく同じ構造が作り上げられて来た。

最早看過することは許されない。
市民の怒りが、いま、この腐敗した構造を叩き潰すだろう。
潰さなければ未来はない。

17万市民が真に対決する相手、真の犯罪者は、
戦後70年、
独占を再編成しながら市民社会をボロボロにして来た悪徳の日本構造である。

1964、戦後解体されていた三菱日本重工、新三菱重工、三菱造船が合併、三菱重工の復活。

合併した三菱重工三社の代表者は、プルトニウム・ミサイルの製造支配力を確保する為、それぞれが次のような分野を担当した。
三菱日本重工の社長だった河野文彦(こうの ふみひこ)は、日本兵器工業会の会長。
新三菱重工の副社長だった荘田泰蔵(しょうだ たいぞう)は、誘導ミサイル懇談会の副会長。
その息子の荘田泰哉(しょうだ やすや)は、動燃の理事(プルトニウムを利用する高速増殖炉の建設推進を担当)。
三菱造船社長だった丹羽周夫(にわ かねお)は、日本原子力研究所の理事長に就任した
また、3社が解体される迄の三菱重工社長で、解体時に代表清算人を務めた岡野保次郎は、誘導ミサイル懇談会とロケット開発協議会の会長の他、日本原子力産業会議の理事、原子力委員会参与、日本原子力普及センター理事長、経団連防衛生産委員会の委員長、日本原子力船開発事業団顧問、となった。

彼ら4人の役職業務は、国防とミサイルとプルトニウムであった。この肩書と業務内容を突き合わせ、彼らが重工3社の重鎮として、合併後の相談役として共に会社を育てた経緯を考えてみれば分かる。
現在の青森県・六ヶ所村で、この三菱重工が主幹事会社となって建設してきた核燃料サイクル基地(再処理工場)が、プルトニウム兵器の製造の為であることを疑わない人間は、何処にもいないであろう。しかもそのプルトニウム「平和」利用の口実として必要不可欠な敦賀の高速増殖炉“もんじゅ”もまた、同じ三菱重工が主幹製造会社であった。

この4人の進めた極秘軍事ビジネスを引き継ぐ後継者が、97年の行政改革委員長・飯田庸太郎(三菱重工社長・会長)の仕事だったのである。
河野文彦、日本兵器工業会会長。
荘田泰造、誘導ミサイル懇談会副会長。
荘田泰哉、動燃理事。
丹羽周夫、元三菱造船社長。

1964、日本原子力研究所理事長に就任。
 岡野保次郎の履歴。誘導ミサイル懇談会会長、ロケット開発協議会会長、日本原子力産業会議理事、原子力委員会参与、日本原子力普及センター理事長、経団連防衛生産委員会委員長、日本原子力船開発事業団顧問。
晩年は原子力船「むつ」の開発に執着。

四人の役割分担、国防、ミサイル、プルトニウム。

六ケ所村の核燃料再処理基地、その主幹事会社は三菱重工。軍事目的のプルトニウム抽出である事は明らか。
 もんじゅの主幹製造会社も三菱重工。
 この四人の後継者が飯田庸太郎・三菱重工会長。

『私物国家―日本の黒幕の系図』 広瀬隆著
第6章 日本最大の官僚組織・電力会社と軍需工場・三菱重工より一部引用