宮城県復興計画の

元1等陸尉宮城県知事村井嘉浩と財界系シンクタンク野村総研
被災地を食い物にする新自由主義

「シカゴ・ボーイズ」は気仙沼でビクトル・ハラの夢を見るか?


情勢は たちまち きびしくなった
 うじ虫どもは またぞろ うごめき出し・・・
             「姐虫はまたぞろうごめく」

人民のなかに立って 斧をふりかざせ
  ・・・
  かれらのつくろうとする
  血まみれの市場に向かって
         「きこりよ めざめよ」




市場原理主義は
軍部という侵略強盗犯罪集団を先兵に侵入して来る

宮城県知事村井嘉浩の思想の根底には虐殺と殲滅の先に満州を建国しようとした日本帝国軍部の無知無能で恥知らずな歴史が通低している。
チリやイラクでアメリカという発狂国家が試行した所謂「ショック・ドクトリン」である。










大震災を利用して社会の乗っ取りが行われる。
先兵は常に軍部である、国民に沈黙を強制する組織はそれだけだからだ。
軍部を引き連れた一握りの腐敗・独占体
しかし
我われ国民が決して敗れてはならない。

1970年代初頭、シカゴ大学の一角でCIAから送金される札束を舐めながら
ミルトン・フリードマン・シカゴ学派の残酷な詐欺師どもが血塗れの夢を紡いだ。
美しい宮城の地に彼らの夢を開花させてはならない。




1973・9・11南米チリ、
市民虐殺と一体となった市場原理主義を拡大するために
アメリカ配下の軍部が国家を乗っ取った。

震災で資本力が疲弊した宮城県を狙って、一気にTPP体制の確立を目指す新自由主義の強盗施策が強行されようとしている。

1973
ミルトン・フリードマンの流れをくんだシカゴ大学の市場原理主義者
チリ軍部を通してCIAから巨額の資金が流れ込み、
アジェンデ大統領が虐殺された後、シカゴ大学で市場原理主義の洗脳を受けた「シカゴ・ボーイズ」たちが中心になって、新自由主義的な政策を強行する。







宮城県「県復興会議」メンバー
同会議の「震災復興プロジェクトリーダー」は山田沢明・野村総研顧問
議長は小宮山宏・三菱総研理事長(元東京大学学長)、
副議長には寺島実郎・日本総研理事長
議員には藻谷浩介・日本政策投資銀行参事など
12人の委員のうち宮城県在住の人間がわずか2人という異様。

岩手県の「津波復興委員会」は県内在住の19人によって構成されている。





 悪党どもは空の高みからやってきて
 子供たちを殺した
・・・・・
来て見てくれ、街街に流れてる血を
 来て見てくれ、街街に流れてる
 この血を!
『そのわけを話そう』パブロ・ネルーダ



宮城県の復興計画
野村総研が全面関与
知事「地元の人 入れない」


東日本大震災からの復興をめぐり、宮城県では村井嘉浩知事が、大企業が漁業権を獲得しやすくなる「水産業復興特区」構想を打ち上げる(10日)など財界と同じ「構造改革」路線が突出しています。同構想には、漁業者が激しく反発していますが、知事は「撤回するつもりはない」(23日)と貫徹する構えです。住民の頭越しに次々と打ち出す宮城県復興の「青写真」づくりが、財界系シンクタンク・野村総研の“全面バックアップ”でおこなわれていることが明らかになりました。 

 宮城県は現在、震災復興計画第1次案の事務局原案を作成中で、6月3日に開催される2回目の「県震災復興会議」に提出、有識者の意見を聴取する予定です。この原案作成に野村総研が全面的にかかわっています。

 県震災復興政策課担当者は28日までに、計画作成への支援は「野村総研からの申し出」であり、原案を共同でつくっていることを認めました。野村総研コーポレートコミュニケーション部担当者は、総研側がコンサルタント3〜4人を派遣し、県側と一定の間隔でミーティングを重ね、「全般的にアドバイスする」形をとっていると説明します。

 「株式会社野村総合研究所は宮城県の震災復興計画の策定を全面的に支援することで宮城県と合意しました

 野村総研は4月14日にこう発表していました。

 事務局原案について意見を出す県の「復興会議」は、野村総研顧問や三菱総合研究所理事長らが委員として顔をそろえ、「委員12人のうち県内在住者はわずか2人」(河北新報18日付)。委員19人全員が県内在住者である岩手県の「津波復興委員会」と著しい対比をなしています。第2回「復興会議」は、「委員の大半が首都圏在住のため…村井知事らが上京」(同)し、都内で開催するありさまです。

 村井知事は4月25日の記者会見で、会議の委員選定について問われ、「あえて地元の方はほとんど入っていただかないことにした」と表明。その理由として「地球規模で物事を考えているような方に入っていただいて、大所高所から見ていただきたいと考えた」などと語っていました。
2011年5月29日(日)「しんぶん赤旗」

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県民不在の宮城復興計画
「水産特区」「農地集約化」財界の意向
民間企業参入、庶民増税に執念


 財界系シンクタンクと宮城県が一体で進める、県民不在の復興計画――。その中身を具体的に見てみます。 (竹原東吾)

 県の「震災復興基本方針(素案)」(4月11日発表)の基本理念は「単なる『復旧』ではなく『再構築』」をうたいます。

 一方、県の復興計画策定を全面支援する野村総研はこれまで11回にわたる震災復興に関する独自の「提言」を発表。震災後間もない3月30日の第1回「提言」で、「単純に復元するだけでなく、新しい発想に基づく都市計画が必要である」としました。

 野村総研コーポレートコミュニケーション部担当者は、宮城県の復興計画策定にあたってのアドバイスは、これら提言と「基本的な方向性が異なることはありえない」と話します。

 これまで明らかになった具体的方向性を見ても、両者の符合ぶりははっきりしています。

農業復興
 農業復興について、野村総研は「二種兼業農家の農地の買い上げを通じた農業法人等への農地の集約化や専業農家の法人化支援」(9回提言、4月22日)を指向。一方、県も「法人化や共同化による経営体の強化」(方針素案)を提唱します。

 政府の「東日本大震災復興構想会議」の委員も務める村井嘉浩知事は「斬新なアグリビジネスの展開(民間投資による活性化)」(4月23日、同会議提出資料)をうたっています。

漁業復興
 漁業復興では、野村総研は「復興対象漁港の絞り込み」「漁業者を組織し、法人設立を支援する等して、経営主体の強化を図る」(9回提言)と提起。県も「漁港の集約再編」「零細な経営体の共同組織化や漁業会社など新しい経営方針の導入」(方針素案)を目指すとしています。

 村井知事は、4月23日に開かれた政府の復興構想会議の席上、「漁業の株式会社化を大がかりでやったらどうだろうか」と提案し、10日の同会議では「緊急提言」として、沿岸漁業への民間参入や資本導入を図る「水産業復興特区」をぶち上げたのです。

 もうけが上がらなければ勝手に撤退してしまう企業の大規模参入――。宮城県漁協の木村稔経営管理委員会会長は25日の衆院大震災復興特別委員会で、「子々孫々まで漁業を続け、そこに住みつくのが漁師。会社なんてもってのほか」「バカにするなといいたい。漁業者は全員一致で反対だ」と表明しています。

道州制視野に
 野村総研と県が一体でつくる復興計画の中身は、財界の狙いそのものでもあります。

 経済同友会が4月6日に発表した「東日本大震災からの復興に向けて」と題した緊急アピール。復興の基本理念は、「東北の復興を、『新しい日本創生』の先進モデルとして、国際競争力のある、国内外に誇れる経済圏を創生する」ことだとした上で、1次産業について、農地の大規模化や法人経営の推進、漁港の拠点化など「大胆な構造改革を進める」と提言しています。

 また「東北復興院(仮称)」を設置し、これが司令塔として復興にあたることで、将来的には「道州制の下での道州行政府の基礎になることを視野に」入れています。復興財源として、「復興税の導入の検討」も求めました。

 村井知事は政府の復興構想会議(4月23日)で、広域的・一体的な復興を進めるための国、被災自治体で構成する「大震災復興広域機構」の設立を提言。さらに、「全国各地いろんなところでいろんな時期に災害があり、ある程度恒久的な税をこの際できれば県民が保険をかけるという意味で間接税、消費税のようなものでしっかりかけるべきではないか」と庶民増税の必要性も訴えました。

 文字通り、財界の意向を震災復興に反映させるための“急先鋒(せんぽう)”の役割を果たしています。

 いまなお、県内約400カ所、2万8千人近くが厳しい避難生活を送っているなかで、財界系シンクタンクと宮城県が一体となってつくる復興計画。震災を奇貨に、財界が執念を燃やす「構造改革」の押し付けが、いま目の前で始まっているといえます。
2011年5月29日(日)「しんぶん赤旗」


村井嘉浩宮城県知事の断面
大阪府豊中市生まれ。1984年(昭 和59年)3月、防衛大学校本科(理工学専攻)を卒業し(第28期)、4月から陸上自衛隊幹部候補生学校に入校。同年9月、ヘリコプターパイロットとして東北方面航空隊(仙台市霞目駐屯地)に配属された。1991年(平成3年)から宮城地方連絡部募集課広報班長を務め、翌1992年(平成4年)に退官。退官時の階級は1等陸尉。陸上自衛隊を退官後、松下政経塾に入塾し、1995年(平成7年)に卒塾(13期生)。同年、宮城県議会議員選挙に宮城野選挙区から立候補し、初当選を果たした。以後3期連続当選。県議時代は自由民主党に所属し、自民党宮城県連幹事長を務めた。防衛大学校及び自衛官出身者では初の都道府県知事
宮城県への企業誘致を積極的に推進し、その結果、セントラル自動車(車両組み立て工場)、トヨタ自動車(エンジン工場)、パナソニックEVエナジー(車両用バッテリー工場)などの自動車関連企業や東京エレクトロンが宮城県に進出した。
前知事の浅野史郎が行っていた金剛山歌劇団や東北朝鮮初中級学校への財政支援を知事就任後、早々に打ち切った。また浅野による宮城県警の捜査報償費の予算執行停止措置についても、知事就任後ただちに解除した。

松下政経塾第13期生村井嘉浩1994年5月の「教育に市場原理を」と新自由主義発言
常々疑問に思っていたのだが、なぜ日本の学校教育には市場原理が働かないのだろうか。
お金を出して教育内容を買い付ける生徒(消費者)が学校選択の自由もなく常に厳しい競争にさらされ、逆に教育内容を売りつける学校(生産者)がつぶれる心配もなく存在しているのはどう考えてもおかしい。
教育だけが市場原理からはずれる神聖なものとは到底言えないだろう。



おまえたちは眠れぬだろう 剣を手にした悪魔ども
爪を血まみれにした 夜の鵜ども
陰気なくら闇の いやらしい卑怯者ども
死者たちをも冒涜する 呪われたものども
ラファエル・アルベルティ



村井知事は「斬新なアグリビジネスの展開」を掲げ、「民間投資によって活性化を図る」ことを志向している。
産業分野ではこれまでに「漁業権の民間開放」が漁業者の猛烈な反発を受けてきたが、農業についても従来の生産形態からまるで別物にしようとしていることが明らかになっている。
 アグリビジネスというのは、米国の経済学者R・A・ゴールドバーグが提唱したもので「農業の資材供給・生産・流通・加工の各段階からなる垂直的な統合体」と説明されている。食品関係の産業、農業関係のあらゆる農産物加工や貯蔵、農業機具、流通、肥料製造などすべてを網羅した「昔ながらの農業の枠にとらわれないスタイル」の農業というもの。食品業界や商社が参入する傾向で、震災以前から財界が推奨し力を入れてきたものだ。

 例えば世界的には“アグリビジネスの巨人”といわれるのが米国のモンサントで、ハイチ地震の復興では「救済」の格好をしてハイチの農業を乗っ取った実績がある。震災後、同社はハイチ農民に大量の遺伝子組み換え種子を無料提供したが、いったんその種子を導入すれば継続して遺伝子組み換え種子と関連肥料、農薬を購入しなければならなくなる仕組みになっており、現地農業をモンサントの呪縛から逃れられないよう組み込んだ。主力商品である「ラウンドアップ」という農薬や、その強力な除草剤に強い性質を持つ遺伝子組み換え種子の販売をテコに世界の農業ビジネスを席巻してきたことで知られるモンサントだが、こうしたアグリビジネス、六次産業創出の方向性を鮮明にしている。

1973年9月11日、チリ経済を食い物にしてきた勢力はチリ国内の反アジェンデ勢力を煽動し、ピノチェト陸軍総司令官にクーデターを起こさせた。選挙で選ばれたアジェンデ大統領は殺害され、7000人とも3万人ともいわれる労働者・農民、学生などが連行、暴行、虐殺された。
その時、サンチアゴ市内の工科大学でライヴをしていたハラは軍に拘束され、そのまま学生や市民とともにクーデターの翌12日、チリ・スタジアムに連行されました。
捕らわれた人々を励まそうと、軍の命令を無視し歌ったため、ギターを壊され、それでも手拍子で歌ったため、弾けぬよう手を砕かれ、それでも歌い続けたため、ひどいリンチを受け虐殺された。
ピノチェトは、左翼的と見なした本や映像、音楽を禁止し、チャランゴやケーナといった楽器までも焼き払いました。『人生よありがとう』という歌も。クーデター後、最大400人が収容、強制労働、暴行、拷問を受けた強制収容所のドーソン島。その後、16年の長きにわたるピノチェト軍政下ですさまじい弾圧が行われ、アムネスティの調査によれば約4万人が虐殺されたとされています。

社会主義者的に言うと、1960年代チリの農村部は大地主制により、都市部はアメリカ多国籍企業や資本階級による搾取により、労働者は貧困を余儀なくされるのです。
そしてついに、1970年9月チリに転機が訪れます。
大統領選挙で社会党のサルバドールアジェンデが勝利し社会主義政権が成立するのです。
そのことは、アメリカ合衆国に大きな衝撃を与えます。
@経済的に影響下にある中南米でキューバに次ぐ社会主義政権が成立した
 ⇒銅鉱山をはじめとした莫大な利権が、企業国有化により消失した
A戦争や革命ではなく、平和的な選挙で社会主義が成立した
 ⇒社会主義=流血は、アメリカ合衆国による社会主義批判の一つの根拠だった

合衆国はチリの社会主義政権転覆にむけて、経済的、社会的混乱を画策します。
@銅鉱山がチリの外貨獲得手段だった⇒合衆国の備蓄銅を大量放出し、銅相場の暴落を図る
Aとどめになるのが、CIAとチリ国軍ピノチェト将軍によるクーデターによる政権転覆

1973年9月11日、クーデターによりアジェンデ大統領死亡
9月16日、アジェンデ支持者としてビクトルハラ虐殺
他にも、多くのアジェンデ支持者が虐殺されたり、国外に追放されたりします。
南米では9月11日は、冷戦下の合衆国の横暴を示す日として記憶されているのです。


チリの9.11を語るとき、経済学者の宇沢弘文さんは繰り返し、次の挿話を紹介します。ミルトン・フリードマンの市場原理主義が、最初にアメリカから輸出されたのが、チリである。CIAの巨額の資金をつぎ込んで軍部という虐殺者ピノチェットの軍事クーデターを支援し、アジェンデ大統領を虐殺。そして、新自由主義的な政策を強行した。このアジェンデ虐殺のニュースが入った時、フリードマンの流れをくんだシカゴ大学の市場原理主義者たちは歓声を上げた、と。(宇沢弘文・内橋克人対談『新しい経済学は可能か−新自由主義の正体』(「世界」09.4月号)

宇沢
市場原理主義的な政策が最初にアメリカから輸出されたのはチリです。シカゴ大学には中南米からの留学生が多く、そういう学生たちを積極的に支援して、サンチャゴの私立カトリック大学をベースにCIAが巨額の資金をつぎ込む。軍部という虐殺者ピノチェトのクーデターを資金的にも軍事的にもサポートする。1973年9月11日にアジェンデ大統領が虐殺された後、シカゴ大学で市場原理主義の洗脳を受けた「シカゴ・ボーイズ」たちが中心になって、新自由主義的な政策を強行するわけです。銅山を例外として、国営企業はすべて民営化され、金融機関は原則としてアメリカの金融機関の管理下に置かれた。チリの企業は所有関係について外国人と内国人との区別をしてはいけない。労働組合は徹底的に弾圧してつぶす。その過程で、秘密警察を使って反対者たちを粛清する。シカゴ大学での私の学生や友人で、そのころ行方不明になった人が何人もいます。 (中略) じつは、私は、1973年の9月11日にシカゴにいました。アジェンデ虐殺のニュースが入ったとき、フリードマンの流れをくんだ市場原理主義者たちが歓声を上げたのです。私は以後一切シカゴ大学とは関係しないと決意した。
(引用元:『世界』2009年4月号 宇沢弘文・内橋克人「新しい経済学は可能か」)

1973年、チリでCIAの支援による軍事クーデターが発生します。軍部という虐殺者アウグスト・ピノチェト将軍は、民主的に選出された左派大統領のアジェンデ大統領を含め30000人以上もの市民を虐殺し政権を奪取したのでした。
クーデター直後に戒厳令が敷かれ、ビクトル・ハラを初めとする人民連合系の市民が多数サンティアゴ・スタジアムに集められ、容赦なく虐殺された。
クーデター後一日で確認された遺体は2,700体に上った。
アウグスト・ピノチェト(1974年)。1974年3月に発表された国家再建方針により、ピノチェトは議会制民主主義の否定による軍事政権の長期化と、軍事政権による政治、教育、経済などチリのあらゆる部分の改変を打ち出した。特に教育面では、大学が軍人の統制下に置かれ、思想統制のためマルクスら社会主義関連の書物や、パブロ・ネルーダ、フランツ・カフカ、マクシム・ゴーリキー、ジグムント・フロイトなどが焚書にかけられ、燃やされた

 軍部という虐殺者ピノチェト将軍によるチリの市場原理主義革命の実験を担ったのが、マネタリズムの教祖であるシカゴ大学のミルトン・フリードマン教授とその弟子たちでした。そして、フリードマンはチリでの実験の「成功」とされる怪しげな物語を踏み台にしてその権威を高め、ノーベル経済学賞も受賞し、ついにレーガン政権においてその教義を米国でも実施させることに成功したのです。以来、ウォール街・IMF・米国財務省は、フリードマンの教義を強制的に世界に広め、今日における世界の惨状を生み出したわけです。
チリにおけるネオ・リベラリズムの「成功」の「物語」は、単なる「おとぎ話」であり、まったくのデマだというのです。

 実際には軍部という虐殺軍人ピノチェトの「市場原理主義改革」によって、米国の投機家たちのパラダイスは誕生しましたが、市民生活はといえば、1973年から83年のあいだに貧困層は20%から40%に倍増し、失業率は4.3%から22%にも上昇したそうです。軍部という虐殺者ピノチェトはフリードマンの助言に従って、国営銀行をはじめありとあらゆるものを民営化し、ハゲタカが乱舞するマネーゲームの楽園を生み出しましたが、結果は惨憺たるものだったのです。
シカゴ・ボーイズによる荒廃を経て、虐殺軍人ピノチェトがチリ経済を復興させるために役立った「遺産」が二つあったそうです。それらはいずれも、虐殺者ピノチェトに殺された社会主義者のアジェンデ大統領が行なった政策でした。具体的には銅山(チリ最大の外貨獲得源)の国有化と、農地改革の二つだったのです。

 虐殺者軍人ピノチェトは、アジェンデが国有化した銅山だけは、国有のまま死守したのです。当時のチリの輸出収入の30−70%は銅からもたらされていました。基幹産業である銅資源を国有状態に留めている国を、はたしてフリードマンの教説通りの「小さな政府・自由放任市場主義」の国と呼ぶことは可能でしょうか? 国営の銅産業の発展によって経済が回復したとして、その功績をフリードマンの市場原理主義に帰することが可能でしょうか?

 アジェンデが行なった農地改革の遺産も、クーデターを経ても多くは引き継がれたそうです。アジェンデの農地改革の結果、活力ある自作農階級が誕生し、チリ農業はピノチェト時代に大いに発展したというのです。

 つまり、殺人鬼軍人の独裁者ピノチェト将軍と市場原理主義者フリードマンの絶妙なコンビが作り上げた「チリ経済の奇跡」と呼ばれている物語は、その多くが歴史的事実に基づかない「捏造」なわけです。「奇跡」の源の多くはピノチェトに殺されたアジェンデ元大統領にあったというわけです。
参照『金で買えるアメリカ民主主義』

労働者よ 婦人もまた
学生よ農民よ 我らともに進もう
銃剣の前に 我等は胸をはる
ベンセレモス ベンセレモス 鎖をたち切ろう