神風攻隊

侵略強盗戦争への反戦を貫き通して倒された若者と
腐った命令に従い軍事財閥の犬コロとして死んだ特攻の若者



渡邉恒雄 そして、それよりも何よりも、特攻攻撃がどんどん始まるわけです。
特攻に行くのは、最初は長男は許された。長男はいい、次男はいけ、 というわけだ。
それがそのうちに長男も次男もなくて、志願するものは一歩前へ出ろ。
一歩前へ出ると、それはもう明日には死ぬわけだ。
出ないやつは助かるが、あとでボコボコにやられるわけです。
それで、そんなにやられるならおれも一歩前だ、と出る。
当時ニュース映画で特攻隊出撃の場面を見た。
勇んで行くどころか、皆、首を垂れ、うなだれたような悲哀を感じさせる姿としか思えなかった。
  田原  そういうことですか。
  邉  だから、強制ですよ。暴力による強制。
  
田原  お国のためとか、天皇のために、特攻に出たんじゃない。
  渡邉  とんでもない。ほとんど暴力による強制です。この間、僕は政治家たちに話したけど、NHKラジオで特攻隊の番組をやった。これがよくやったと思う番組でね。兵士は明日、行くぞと。その前の晩に録音したもので、みんな号泣ですよ。うわーっと泣いて。死にたくないって。 戦時中、よくこんな録音を放送できたと思う。
  田原  あ、そんな録音がとってあった。
  渡邉  特攻隊の死ぬ前の晩の声。勇んでいって、靖国で会いましょうなんか信じられているけど、ほとんどウソです。

田原総一朗責任編集『オフレコ!』(アスコム)2005年 Vol.1


当時の軍部は骨の髄まで腐り切っていた。そんな命令に諾々と従うことは「悲劇とか哀れ」とかではない。同じ若者でも、反侵略・反軍・反戦のたたかいを命をかけて行っていた者たちがいたのだ。
腐敗と不条理の命令に従うことは当時であろうが今であろうが犯罪的なパシリなのである。

フィリピンの海軍航空隊基地の飛行長だった中島正・中佐は、米軍が設置した桟橋に体当たりを命じられたある大尉が「いくらなんでも桟橋とは、、、空らでもいいからせめて輸送船に」と言ったら、「文句を言うんじゃない!特攻の目的は戦果ではい。特攻の目的は死ぬ事だ!」と怒鳴りつけた。中島は自身もパイロットだったにも拘わらず特攻にはいかず、戦後も生き延びて「神風特別攻撃隊」というウソだらけの本を書き、特攻隊員を美化、神格化して指揮官としての自分たちの無能、無責任を隠そうとした。

フィリピンの陸軍航空特攻を指揮していた富永恭二中将は、大げさな儀式を行なって「諸君は生きながら既に神である。本職も最後の一機であとを追う」と特攻隊を送り出していた。マッカーサー軍が迫ってくるとまだ上陸もしていないのに特別機を仕立て、司令部の許可も受けないでお気に入りの少数の参謀と芸者を連れ、ウィスキーの瓶を沢山のせて台湾に逃亡。

陸軍第六航空軍司令官・菅原道大中将は、「お前たちだけを行かせはしない。必ず最後の一機であとを追う」と特攻隊を送り出し、エンジン不調などで特攻機が戻ってくると、「卑怯者!死ぬのが怖いのか!」と殴り倒した。敗戦で参謀が自決をすすめると「死ぬだけが責任を取ることではない」と逃げ回り、結局戦後の平和で豊かな生活を楽しんで96歳で極楽往生。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13116186743

史実を知っている賢明な若者が『永遠のゼロ』などという軍事利権小説を読んで反吐が出るという理由である。

1945(S20)-6-20朝日新聞第二面







上の新聞記事は敗戦約2ヶ月前の昭和20年(1945年)6月9日の朝日新聞第二面に掲載されたものである。この年の4月にアメリカ軍は沖縄に上陸、日本各地は大空襲に晒され日に日に国民は黒焦げの死体となって積み上がっていた。

上の方の記事は連合艦隊司令長官豊田副武が神風特攻隊・第二隊、第四隊、月光隊、新高隊、菊水隊の「悠久の大儀に殉じた殊勲」を布告したものだ。布告の日付はいずれも5月の下旬である。そして、真ん中の記事は同じ二面の下段に掲載された松竹京都撮影所製作のマキノ正博の映画『ことぶき座』の28日封切りの宣伝である。

国体という究極の奴隷制護持のために次々に若者たちが有無を言わさず特攻させられていた時、まさにその時、着飾った一群の男女は高田浩吉と高峰三枝子の映画封切りに胸を躍らせていたのだ。同じ日の同じ紙面のこの二つの記事は、いま想像しても眩暈がするような落差である。

子供に爆弾を抱かせて突っ込ませるような狂信的な国家には無差別空襲しかない、、、特攻攻撃の狂気が何十万もの国民丸焦げを結果した。気が狂ったような特攻作戦が、アメリカの気が狂った報復爆撃を誘発したのである。列強と呼ばれた盗人帝国同士の殺戮が殺戮を呼ぶ文字通りのKITEGAI戦であった。

そのような地獄の日々の中で、そのようなKITEGAI戦を横目で見ながら高峰三枝子の姿に胸を躍らせた一群の者たちが日本には確かにいたのである。、手足を吹き飛ばされ、我が子を殺され、硝煙の戦場をのた打ち回る国民、知り得る限りの悲愴な形容詞を羅列した遺書を書かされ、ボロ飛行機に押し込まれ殆ど命中しない体当たりを決行する神風特攻隊の若い兵士たち、その特攻の報復として焼き殺される何十万という本土の家族と市井の人々、その同じ時間、その同じ日本で、映画館で煌びやかな銀幕に興じる国民。これこそが国家というものの正体である。国のために死ぬなどということがいかに甘ったれた卑怯極まりないことかの紛う事無き証左である。


国のために戦うなどということがいかに甘ったれた犯罪であるかということが以下に語られている。語ったのは辻元清美氏ではない。羅南要塞司令官、帝国陸軍少将、関東軍参謀、陸軍省兵務局長田中隆吉氏である。

田中隆吉
『敗因を衝く 軍閥専横の実相』(中公文庫)


満州事変発生以後特に三国同盟前後より観念右翼の跋扈ははなはだしかった。
 彼らの多くは口に天下国家を論ずるも、概ね時の権勢に阿付迎合してその衣食の資を稼 ぐを常とする。故に一定の職を有せずして、自ら浪人と称する彼らの私生活は意外に豪奢 である。そのあるものは常に羽二重の五つ紋の羽織を纏って白昼堂々と大道を闊歩する。
口を開けば国家の安危を語り、意に充たざるものあるときは脅喝と殺人をもあえて辞せぬ」
「日中戦争特に三国同盟の成立以後においては、彼らの多くはわが国の政治経済の実権を 掌握せる軍部に近づき、これに阿付迎合した。彼らの衣食と運動の資金は概ね軍あるいは これと連絡ある実業家の手によりて供給せられた」

大東亜戦争の勃発に際し、軍部の内意を受けて、無知にして善良なる国民を煽動せるも のは主として彼らであった。中にはドイツ大使館より莫大なる黄金を運動資金として提供 せられたるものもあると伝えられる」

「内地における観念右翼に比し、さらに悪質なるものは大陸に進出せる右翼である。彼ら が一部の政治軍人と結託して中国民衆を搾取し、その私服を肥やせることは天下周知の事 実である。中には巨万の富みを蓄えたるものすらあるとの噂もある。口を開けば天下国家 を論じ、定まれる職なくして巨万を蓄え得るとすれば、かって何人かが「乞食と右翼商売 は三日すれば止められぬ」と皮肉った言葉は、けだし適評と言わねばならぬ」

ある高級司令部では政治経済の監督の責任を有する特務班の幹部全員が相語らって、巨額の公金を遊興の費に充てた。ある守備隊長は、富裕にして親日家たる華僑を惨殺して巨額の黄白(=金銀)を奪い、これを土中に陰蔽して他日の用に備えた。ある憲兵隊長は、愛する女に収賄せる多額の金額を与えて料亭を経営せしめ、その利益を貯えた。ある特務機関長は、関係せる女の父親に炭鉱採掘の権利を与えた。ある中隊長は戦地における部下の兵の携行する写真により、その妻が美貌の持主であることを知り、陸大受験のために内地に帰還するや、東京の宿にその兵よりの伝言ありと称してこの妻を誘い寄せ、忌わしき病気さえも感染させた。

 賄賂は公行した虐殺と掠奪と暴行は枚挙にいとまがなかった。私の親友遠藤三郎中将は、漢口より兵務局の私宛に私信を送り来て、「高級将校にしてその心懸けを改めざる限り、戦争は絶対に解決の見込なし」と憤慨した。

内地においても、大東亜戦争の中期以後における軍隊の暴状は、あたかも外地に似たものがあった。暴行もあった。収賄もあった。掠奪もあった。拳銃をもって威嚇し、人民の家屋を強奪したものもあった。ある大隊長は民がひと月五合の酒に舌鼓を打ちつつあるとき、常に四斗樽を備えて鯨飲日も足らなかった。国民が乳幼児と病人のため、牛乳の入手に多額の金を工面しつつあるとき、健康なるある連隊長は、配給所に対し1日五合の牛乳の配給を強制した。国軍の将校を養成すべきある学校の高級将校は、生徒に配給せられたる石鹸数百個をその家庭に運び、これを米麦と交換して一家の生活の資とした

ある兵工廠の経理官は、地方のボスと結托し、軍需品の横流しを行い、巨額の金を私した。熊本では外出した兵が女学生を強姦した事件があった。しかもこれらはわずかにその二、三の例に過ぎぬ

 海軍もまた、概ねこれと同工異曲であった。否、陸軍よりもさらに腐敗していた。呉の工廠では数年にわたって工廠長以下が出入り商人と結托し、多額の収賄を行った事件があった。ある地方では、海軍の兵が婦女子を強姦した。父兄が抗議すると、隊長は昂然として言った。「戦に負けて青目玉の子供を産むよりよいだろう」と。

さらに奇怪千万なるは食糧である。国民が一日二合三勺の主食の配給に、日に日に痩せ衰えつつあるとき、軍隊は戦時給養と称して一日六合の米麦を貪り食った。肉も魚も野菜も国民の配給量の数倍であった。国民が雀の涙ほどの配給に舌を鳴らしつつあるとき、ある師団の移転の際には、携行し得ざる二百石の清酒が残った。大都市の民が、椀の底が早えるような雑炊を主食の代りとして吸い込みつつあるとき、高級官衛に勤務しある軍人及び軍属は、外食券を用いずして二十五銭の弁当にその腹を膨らました
以上
関東軍参謀・羅南要塞司令官として終戦を迎えた田中隆吉氏(1893年生)の回想


昭和20年3月22日硫黄島玉砕
戦死者20,129名


昭和20年8月11日
広島・長崎に原爆が投下された後である。
未だ国体護持なんて言ってる。



反戦を貫いた勇敢で聡明な若者侵略強盗殺人共犯者・人間のクズとしての神風特攻隊。

 8・15、
毎年この日には散華した若者たちがくぐもった声色で悲劇の立役者として語られてきた、
だがもうその甘ったれた誤魔化しに終止符を打つ時だ。
神風特攻隊は侵略強盗殺人の情けない共犯者であり腐敗軍事財閥の犬コロであった。
あの残虐な戦争の時代、最も勇敢で、最も聡明で、最も美しいのは反戦・反軍のたたかいを貫き通して倒れた若者たちだ。
かれらこそあの苛酷な時代を照らす真の英雄であった。

反戦・反軍を貫いた勇敢で聡明な若者侵略強盗殺人の共犯者・人間のクズとしての神風特攻の若者たち。

「この侵略戦争は許せない」と反戦・反軍事財閥のたたかいを貫き通し残酷な拷問で殺されて行った最も聡明で勇敢な若者たち、
そして、
腐敗を極めた軍事財閥の薄汚い侵略強盗殺人共犯者として諾々と特攻して行った神風特攻隊の若者たち、

神風特攻隊という自堕落な若者に正面から対置するものこそ、あの時代に反戦・反軍を貫いてたたかい抜いた勇敢な若者たちである。
それを戦後ずっと誤魔化して来たから、腐乱と反動の今を迎えてしまったのだ。

この厳然たる対置を自由主義者も左翼もリベラルも、、、戦後社会全てが誤魔化し続けて来た。

平成の今も、国を守るためには軍事財閥の犬コロとして見も知らぬ他国の市民に銃口を向けるなどという人間のクズ犯罪者が存在する。
歴史の真実を誤魔化し続ければ同じ腐乱の場所に戻るのは当たり前ではないか。



日本軍は腐敗し切った只の犯罪集団であった。
そんなものの腐った特攻命令を言われるままに受け入れるなどゆるされないことだ。反戦・反侵略をたたかった勇敢な若者がいたのだから、当時は仕方がなかった、哀れだで済む訳がない。

日本軍が腐敗し切った犯罪集団に化していたことが、陸軍省による「支那事変ノ経験ヨリ観タル軍紀振作対策」(1940年)ではっきりと分かる。
以下引用・・・
二.支那事変間に於ける犯罪、非行の特色
支那事変間に於ける犯罪、非違の件数は国軍総兵員数の激増せるに比すれば其の増加率は必ずしも大ならさるも 軍紀犯は平時の数倍に達し 就中軍紀上最も忌むべき上官への暴行脅迫同侮辱犯激増し、逃亡、掠奪、強姦、賭博等の悪質犯及び経理上の非違行為多発し、幹部の犯罪非行亦少なからざることは其の特色とす
而して犯罪の件数は時日の経過と共に漸増の趨勢を来し黨興上官暴行、用兵器上官殺害などの悪質犯発生せるは特に注意を要する所なり
三.前項の他、犯罪非行防遇上留意すべき主なる事項左の如し

5.事変地に於いては住民に対し徒に優越感に駆られ生起する事犯多きこと
7.事変長期化に伴い
イ.犯罪、非行悪質巧妙化の傾向あること
ロ.現役者の事故漸増の傾向あること
ハ.駐留長期に及ぶや特に物欲犯増加の傾向あること
ニ.戦闘倦怠、凱旋希望、軍隊生活厭忌に関する要注意言動多きこと


2003年、軍需利権のためにマスコミを使って次から次に意図的に平成有事が作り出されて行く。