3・11東電社長搭乗の自衛隊大型輸送機、
防衛相決裁を受けずに離陸飛行!
軍財暴走が現実に!
民主政権、軍部を前に懲戒処分も出せず!


資本は既に国家資本を乗っ取っていた、それが震災後の混乱の本質である。
政府攻撃をエスカレートさせながら震災を利用して既得権益の拡大を謀る軍部と財界。
これは関東大震災を利用して勢力を一気に拡大した日本軍財と同じである。


財界首脳、軍部を手足に使う!

東電社長、自衛隊大型輸送機を許可なく使う。
弱腰民主党政府、懲戒処分出来ず。


防衛相の決裁を受けずに大型輸送機を飛ばしても、不思議だと不快感を呟くだけで、
一切の懲戒処分はなし!
民主政府は軍部の靴舐め政府に堕していた。


軍部と財界の闇の癒着は遂にこまで進んでいた。
国民の知らないところで財界首脳のために許可も受けず兵器を勝手に動かしていた。
(選挙で国民が送り出した北沢防衛相の決済を受けないで空挺隊員64人乗り70トン搭載大型輸送機を勝手に飛ばした恐るべき暴走)
軍需経済・財界の歯車となった軍部官僚と繋がる経済官僚は、既に国民を排除した構造を作り上げていた。

「戦争を必要として計画して金で軍人や政治家を操って、
莫大な利益を上げてきたのは、財閥・資本家たちですよ」

フィリピンの歴史学者レナト・コンスタンティーノ氏。

軍部の目的は議会や政治家を無視して緊急決裁権を我が手に奪い取ることである。
軍部の目的は議会や政治家を無視して緊急決裁権を我が手に奪い取ることである。


防衛相の決裁を受けずになぜいったん飛び立ったのか、逆に不思議だ

枝野幸男官房長官記者会見
清水社長を輸送機に乗せようとした自衛隊に対しても
防衛相の決裁を受けずになぜいったん飛び立ったのか、逆に不思議だ」と、強い不快感を示した。

清水氏は、名古屋空港まで行き、そこから東電と中部電力が出資する新日本ヘリコプター社のヘリに乗って東をめざそう、と考えた。
彼がどういう経路で名古屋までたどり着いたかはまだはっきりわからないが、少なくとも名古屋空港に着いたときは夜になっていた。 
誤算だったのは、新日本ヘリ所有の小型ヘリは、夜間飛行ができなかった点だ。

・東電は、名古屋空港に隣接する航空自衛隊小牧基地の自衛隊機に乗り込むことを思いつく。
 東電によると、経済産業省の原子刀安全・保安院を通じて自衛隊機への搭乗を願い出た。
・防衛省事態対処課の職員は「官庁問協力で」と、経産省から依頼があったことを認めた。
・防衛省によると、11日午後9時40分ごろ、首相官邸の緊急参集チームに詰めていた同省の桜井修一運用企画局長から「清水社長を航空自衛隊の輸送機で東京に運べないか」と要請があった。
これを受ける形で、清水社長は午後11時半ごろ、
空自小牧基地からC130輸送機に乗り、入間基地(埼玉県)に向けて離陸した。

3月11日夜 首相官邸の参集チームから自衛隊 「清水社長を自衛隊機で帰京させられないか。」
防衛省・事態対処課が統合幕僚幹部などに連絡。
統合幕僚幹部・小牧基地から入間基地>東京の計画を立てる。
23時半清水社長を乗せたC130が小牧基地を離陸。
同時刻、井上一徳事態対処課長が北沢防衛相に報告。
     北沢怒る、「被災者救援を優先すべきだ。」と指示。
     井上も北沢もC130の離陸の事実を知らず、という。
離陸を知った井上課長「引き返せ」と指示。
23時46分C130に「引き返せ」の命令が伝わる。
0時13分に小牧基地に引き返し到着。

東電「八方手を尽くした。
自衛隊に東電が直に依頼してC130を防衛相の許可なく飛び立たせる繋がりがあった。

4・26枝野幸男官房長官午前の記者会見
3月11日夜、航空自衛隊小牧基地(愛知県)から輸送機を利用して東京に戻ろうとしたもののUターンさせられたことについて
「北沢俊美防衛相は(輸送機の使用について)被災者救援の輸送を最優先すべきだと指示していた。
被災者救援に総力を挙げていた状況だったので、防衛相の指示は妥当だった」と明言した。
「名古屋−東京間は車を飛ばしても走れる状況だ。なぜ、自衛隊に頼んだのか。自衛隊機が飛ばないなら自動車を飛ばすのは当然で、
常識ではないか」と、清水社長の判断に大いに問題があると激しく批判。
清水社長を輸送機に乗せようとした自衛隊に対しても
「防衛相の決裁を受けずになぜいったん飛び立ったのか、逆に不思議だ」と、強い不快感を示した。

 枝野氏は一連の動きについて、清水社長が小牧基地に戻った後に報告を受けたとした。

(以上、以下の参考資料「アエラ」「サンケイ新聞」「朝日新聞」他より引用)

東電社長の自衛隊機輸送、指示の出所不明
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110427/plc11042723170029-n1.htm
 東京電力の清水正孝社長が3月11日、帰京のため自衛隊輸送機で離陸した後、政府の判断で
Uターンさせられた問題で、自民党の国防部会は27日、防衛省から事情を聴いた。しかし、
防衛省側は輸送依頼の経緯や依頼元について曖昧な説明に終始。出席議員から「誰に言われた
のか分からないまま飛行機が飛ぶのか」(石破茂政調会長)などと批判が相次ぎ、防衛省に経緯を
調査し同部会に結果を提出するよう求めた。

東電の手口

あらゆる口実を作り
常に責任を国(国民)に転化させようとする東電
「社長が現場に急行できていれば、こんな事態にはならなかった!」 ←笑


どんな状況でも危機に対応しなければいけないのが核を扱う企業の責任だ。
それができないなら核を扱うなということ。

飛行中だったからそのまま行ってくれればなあ、とは思うよ。
だけど、もしそれがなかったとしても、決断できなければいけないのよ。
これ常識だから!

引き返したことは北沢が連絡の行き違いだと認めてる。
でもそれが致命傷ではない。
地震発生後6時間ぐらい経ってのことなんだから。
決断できない東電がおかしいのは明白。


震災当日、東電社長の輸送機が防衛省指示でUターン
2011.4.26 01:30 sankei
 東京電力の清水正孝社長が、福島第1原子力発電所が深刻な事故に見舞われた3月11日の東日本大震災当日、出張先から東京に戻るため航空自衛隊の輸送機で離陸後、防衛官僚の判断でUターンさせられていたことが25日、分かった。被災地救援を優先させるべきとする北沢俊美防衛相の意向をくんだ過剰反応ともいえる。しかも、輸送機がいったん離陸したことは北沢氏に報告されておらず、官僚との間で十分な意思疎通が図れていなかったことが、結果的に清水社長を足止めする原因となった。

 清水社長が都内の本店に戻るのは翌12日午前10時までずれ込み、防衛省内には「離陸した輸送機をUターンさせるロスを考えれば、そのまま飛行させるべきだった」(幹部)との指摘もある。

 自衛隊関連行事での民間人の政権批判を封じた昨年11月の防衛事務次官通達をはじめ、防衛省・自衛隊は民主党政権から「政治主導」の圧力を受けていたが、危機管理の重要局面でいびつな関係があらわになった形だ。

 清水社長は震災当日、関西に出張中で、奈良市の平城宮跡も視察した。東電によると清水社長は午後3時ごろ、帰京すると伝えてきたが、東京に向かう高速道路が通行止めとなり、奈良から名古屋まで電車で移動。名古屋空港から東電グループの民間ヘリで帰京しようとした。だが、航空法の規定でヘリは午後7時以降は飛行できなかった。

 防衛省によると、午後9時半ごろ、首相官邸にいた運用企画局長に対して、清水社長を空自輸送機に搭乗させるよう要請があった。官庁間協力に基づく、経済産業省からの働きかけとみられる。

 清水社長は名古屋空港と同じ敷地内にある空自小牧基地からC130輸送機に搭乗。11日午後11時半ごろ入間基地(埼玉県)に向けて離陸した。

 防衛省では同じ11時半ごろ、運用企画局事態対処課長が北沢氏に「東電の社長を輸送機に乗せたいとの要請がある」と報告。北沢氏は「輸送機の使用は(東日本大震災の)被災者救援を最優先すべきだ」と強調した。

 これを受け、事態対処課長は統合幕僚監部などを通じ、空自部隊に清水社長を搭乗させないよう指示しようとしたが、すでにC130は離陸していた。ただ、離陸直後だったため、課長は即座にUターンするよう求めた。同機は離陸から約20分後にUターンし、12日午前0時10分ごろ小牧基地に着陸した。

 課長は清水社長が搭乗したC130が離陸し、それをUターンさせたことを北沢氏に報告していなかった。北沢氏は最近までこうした事実関係を把握していなかった。

 課長は産経新聞の取材に「大臣指示を受け、災害派遣医療チーム(DMAT)など人命救助のための人員輸送を最優先すべきと判断し、Uターンを求めた。判断は適正だったと考えている」と述べた。

 清水社長は12日早朝、チャーターした民間ヘリで名古屋空港を離陸し、本店に到着したのは午前10時ごろだった。清水社長が不在の間、第1原発では原子炉内の水が失われ炉心溶融が進む一方、原子炉内部の放射性物質を含む蒸気を外部に逃す「ベント(排気)」と呼ばれる措置も遅れた。


東電社長乗る自衛隊機、防衛相指示で引き返す 震災当日
2011年4月26日11時52分asahi

 東京電力の清水正孝社長が東日本大震災が発生した3月11日の夜、関西方面の出張先から東京に戻るために搭乗した航空自衛隊の輸送機が、離陸後に引き返していたことがわかった。北沢俊美防衛相が離陸したことを知らずに被災者支援を優先するよう指示し、そのまま実行されたためだという。

 防衛省によると、11日夜、首相官邸の緊急参集チームから防衛省に対し、自衛隊機を使って清水社長を帰京させられないかという依頼があった。防衛省事態対処課が統合幕僚監部などに連絡。小牧基地(愛知県)から入間基地(埼玉県)を経由して東京まで送る計画を立てた。

 午後11時半ごろ、清水社長を乗せた航空自衛隊のC130は小牧基地を飛び立った。ほぼ同時刻に井上一徳事態対処課長が北沢氏に報告すると、北沢氏から「被災者救援を優先すべきだ」と指示された。この時点で北沢氏も井上課長も、輸送機がすでに離陸したことは知らなかったという。

 井上課長はその後、輸送機が離陸していることを知ったが、すぐに引き返すよう指示。午後11時46分にC130に命令が伝わり、翌0時13分に、小牧基地に戻った。

 北沢氏は26日の参院外交防衛委員会で「防衛省の輸送能力はすべて震災対応で物資や隊員の輸送をやるように、と指示した。行き違いがあった」と答弁した。

 東電広報部は「当日は交通網が混乱し、グループ会社のヘリも夜間で飛べなかった。八方手を尽くしたが帰ってくるのは翌日になった。詳細はコメントを控えたい」としている。

枝野氏「防衛相の判断は妥当」 自衛隊機を依頼した東電社長を批判
2011.4.26 11:18 sankei
 枝野幸男官房長官は26日午前の記者会見で、東京電力の清水正孝社長が、東日本大震災が発生した3月11日夜、航空自衛隊小牧基地(愛知県)から輸送機を利用して東京に戻ろうとしたもののUターンさせられたことについて「北沢俊美防衛相は(輸送機の使用について)被災者救援の輸送を最優先すべきだと指示していた。被災者救援に総力を挙げていた状況だったので、防衛相の指示は妥当だった」と明言した。

 清水社長が東電本店に不在だったことが福島第1原子力発電所事故の対応に影響したかどうかを聞かれると「名古屋−東京間は車を飛ばしても走れる状況だ。なぜ、自衛隊に頼んだのか。自衛隊機が飛ばないなら自動車を飛ばすのは当然で、常識ではないか」と、清水社長の判断に大いに問題があると激しく批判。清水社長を輸送機に乗せようとした自衛隊に対しても「防衛相の決裁を受けずになぜいったん飛び立ったのか、逆に不思議だ」と、強い不快感を示した。

 枝野氏は一連の動きについて、清水社長が小牧基地に戻った後に報告を受けたとした。


原発爆発という未曽有の事故が起きる危機的な状況なのに、防衛省は清水社長の乗った輸送機に小牧への帰投を命じた。
東電の鈴木和史広報部長は、「交通システムに滞りがありました。自衛隊機に乗ろうとしましたがうまくいかず、翌日の12日に来ることができました」としか語らない。鈴木氏の重い口に代わって東電関係者は、「政府の有力者が『一民間企業の社長を自衛隊機に乗せるとは何事か』と怒り、それで引き返したと聞いています」と打ち明ける。
 
防衛省事態対処課に4月19日、経緯をたずねると、職員から最初に返ってきた言葉は、「東京電力の清水社長を輸送した事実はございません」だった。

−では、乗せましたか。
 
「……搭乗はしました」
  
では、なぜ戻ったのですか。
 「
そのー、大臣との報告と同時並行的に輸送の準備を開始していたのですが、そっちよりも被災者支援の輸送を優先すべきだという指示をいただいたものですから、部隊にその旨を連絡したという経緯であります」

被災者支援の輸送を優先せなさいと言ったのは、北沢大臣ですか。
 
「はい、はい、そうですね」

−では最初に乗せてもいいといったのは、どなたの指示だったのでしょうか。
 
「これは、あのー、えーと、えーと、これはー、そうですね。あのー、部内の、あのー、ちょっと、これは……どこまで了解をとったのかわからない、部内の判断で」

−部内の判断というのは、大臣の指示ではないのですか。
 
「大臣まではあがらなくて。ちょっと当時は震災直後でバタバタしていましたから。大臣も官邸に行っていたので」
 
防衛省のスタッフの間で清水社長の輸送を決めたのに、北沢俊美防衛相の指示で送り返したというのである。

「大臣ではなく私か…」 事態対処課の井上一徳課長は4月21日、こう補足説明をした。
 
「あのときは並行的に作業を進めてぃまして。準備を進めていて、大臣にその旨を報告にうかがったところ『被災者に救援物資を届けるのを最優先に』ということでした。それで私か伝えたのです。すでに飛び立った後でしたので、それだったら私の方から『戻ってくれ』と…

…中略。

震災当日、東電社長の輸送機が防衛省指示でUターン
2011.4.26 01:30 (1/2ページ)
 東京電力の清水正孝社長が、福島第1原子力発電所が深刻な事故に見舞われた3月11日の東日本大震災当日、出張先から東京に戻るため航空自衛隊の輸送機で離陸後、防衛官僚の判断でUターンさせられていたことが25日、分かった。被災地救援を優先させるべきとする北沢俊美防衛相の意向をくんだ過剰反応ともいえる。しかも、輸送機がいったん離陸したことは北沢氏に報告されておらず、官僚との間で十分な意思疎通が図れていなかったことが、結果的に清水社長を足止めする原因となった。

 清水社長が都内の本店に戻るのは翌12日午前10時までずれ込み、防衛省内には「離陸した輸送機をUターンさせるロスを考えれば、そのまま飛行させるべきだった」(幹部)との指摘もある。

 自衛隊関連行事での民間人の政権批判を封じた昨年11月の防衛事務次官通達をはじめ、防衛省・自衛隊は民主党政権から「政治主導」の圧力を受けていたが、危機管理の重要局面でいびつな関係があらわになった形だ。

 清水社長は震災当日、関西に出張中で、奈良市の平城宮跡も視察した。東電によると清水社長は午後3時ごろ、帰京すると伝えてきたが、東京に向かう高速道路が通行止めとなり、奈良から名古屋まで電車で移動。名古屋空港から東電グループの民間ヘリで帰京しようとした。だが、航空法の規定でヘリは午後7時以降は飛行できなかった。

 防衛省によると、午後9時半ごろ、首相官邸にいた運用企画局長に対して、清水社長を空自輸送機に搭乗させるよう要請があった。官庁間協力に基づく、経済産業省からの働きかけとみられる。
清水社長は名古屋空港と同じ敷地内にある空自小牧基地からC130輸送機に搭乗。11日午後11時半ごろ入間基地(埼玉県)に向けて離陸した。

 防衛省では同じ11時半ごろ、運用企画局事態対処課長が北沢氏に「東電の社長を輸送機に乗せたいとの要請がある」と報告。北沢氏は「輸送機の使用は(東日本大震災の)被災者救援を最優先すべきだ」と強調した。

 これを受け、事態対処課長は統合幕僚監部などを通じ、空自部隊に清水社長を搭乗させないよう指示しようとしたが、すでにC130は離陸していた。ただ、離陸直後だったため、課長は即座にUターンするよう求めた。同機は離陸から約20分後にUターンし、12日午前0時10分ごろ小牧基地に着陸した。

 課長は清水社長が搭乗したC130が離陸し、それをUターンさせたことを北沢氏に報告していなかった。北沢氏は最近までこうした事実関係を把握していなかった。

 課長は産経新聞の取材に「大臣指示を受け、災害派遣医療チーム(DMAT)など人命救助のための人員輸送を最優先すべきと判断し、Uターンを求めた。判断は適正だったと考えている」と述べた。

 清水社長は12日早朝、チャーターした民間ヘリで名古屋空港を離陸し、本店に到着したのは午前10時ごろだった。清水社長が不在の間、第1原発では原子炉内の水が失われ炉心溶融が進む一方、原子炉内部の放射性物質を含む蒸気を外部に逃す「ベント(排気)」と呼ばれる措置も遅れた。